わたしと他人しかいない世界に生きてます

自分という存在を変態的に観察しまくる人のアタマの中。不定期。

本音と建前の世界に取り憑かれた人たち

オトナはホンネと建前を使い分けるものだ

というナゾの文化が一部で流布しているようで。

 

以前

この考えに取り憑かれた人たちに囲まれて

計4時間ほど説教を食らったことを思い出す。

 

これが大変な苦痛。

 

どんなに自分の考えを正直に話しても

「あなたのホンネは何?」

とか聞いてきます。

 

怖い

というより、ヤバい。

 

 

この人たちにかかれば

どんなにこちらが思いを語ろうとも

 

そのときの気分やノリ

自分の中の常識とか相手の行動予測、好き嫌い

他人の印象を操作するため

などの

 

ごく個人的な感情や主観のフィルターに通して

それが本音かどうかジャッジされます。

 

 

本音と建前がないとやっていけない職業ならまだしも

日常生活でそんなことをやっていると

そのうち、何も信じればいいかわからなくなって

こころが死ぬと思うのですが

 

世の中には

そういうのが平気なメンタルの持ち主が

いるところにはいるようです。

 

自分からしたら、こんなメンタルの人は

精神のどこかに異常をきたしているのでは……?

と、わたしは本気で不安になります。

 

というか、相手も不安なんですよね。

 

 

この人たちに対峙してしまうと

ないものを「ない」と証明しないといけないので

とても辛いことがあります。

 

ないものを「ない」と証明することを

〈消極的事実の証明〉というそうですが

おそらく、本音と建前の世界に生きている人たちが

この証明を求めてくるのは

とても不安だからだと思います。

 

こころって得体が知れないから。

 

相手のことばがどこまで本気なのか

暗やみのような世界を

少しずつ少しずつ

壊れないかどうかを慎重に確かめながら

探っていかなければなりませんし。

 

 

この世界に取り憑かれてしまうと

何も信じられなくなり、抜け出せなくなります。

 

何を言っても通じなくなりますし

裏の裏の裏の裏の裏の裏まで探ろうとして

疲れ切ってしまいます。

 

 

夫が以前、この世界に取り憑かれて

攻撃してきたことがありますが

その際に彼に伝えたことは

 

「それは相手を二重に縛ることだ」と

まず論理的に伝え

「私はいつでも、思ったことだけを話している。

 それを常に伝えてきたつもりなのに

 伝わってなかったことが悲しいし

 なにより、そんなに疲れてるのがかわいそうだ」

と感情を伝えました。

 

その後、時間をかけて徐々に夫は落ち着きました。

 

個人的には

本音と建前を語らなければならないときは

きちんと相手に分けて伝えることで

自分のこころを守るようにしてます。