わたしと他人しかいない世界に生きてます

自分という存在を変態的に観察しまくる人のアタマの中。不定期。

想像より誰もあなたのことを見ていない

思春期を迎える頃から

〈他人から見た自分〉への関心は

徐々に高くなっていくと言われています。

 

つまり

他人からどう見られているか

ということなんですけど

 

30代半ばを過ぎて感じることは

 

想像しているよりもはるかに

他人は自分に関心がない

 

ということです。

 

 

見た目に関してならば

 

某メイク教室にいって

一緒に学ぶメンバーのスッピンがどうかとか

毛穴がどうだとか

肌がくすんでいたかどうかとか

思い出せません。

 

そもそも

私は近眼なので見えないというのもありますが。

 

内面に関しても同様です。

 

というか、内面は誰にも見ることのできないものです。

 

自分がどう自分という歴史を生きてきたかとか

どんな価値観を持っているのかとか

どんな人を好むのかとか

どんなことを他人に期待しているのかとか

 

見る機会もありませんし

なんなら、ことばにする機会も少ない人も多いでしょう。

 

 

自分からアクションを起こさない限り

自分のことは誰にも知る機会がない

 

頭ではわかっている事実なんですが

〈自分だけは特別な存在〉

〈ずっと一緒にいる人はわかってくれるはず〉

〈普通○○するはず〉(=自分の中の常識)

という無意識の思い込みが

この事実を忘れさせてしまうことが多々あります。

 

人はみな

自分の人生を生きることだけで精一杯で

自分自身のことすらおろそかにする人がいる中で

どうやって他人のことまで注意できるのか。

 

こう考えると

案外、自分のことを見ている人ってほとんどいません。

 

というか、その人のモノサシやメガネで

ほんの一部分を見て取り上げるに過ぎません。

 

 

年齢を重ねて、他人の目をないもののように扱う人もいますが

そういった極端な人をのぞいて

 

基本的には

他人の目ってあまり気にしなくていいように思いますし

 

なにか「ここだけは見てほしい!」ということがあるなら

アピールすると、意外と受け入れてもらえることが多いです。

 

自分軸と他人軸

お悩みの方が多いようなコミュニティに行くと

「〈自分軸〉を持ちたいんです……」

という話をする方がいます。

 

話を聞くと

他人の思惑に振り回されてしまって

疲れてしまうことが多いそうです。

 

大変ですねーって思いますが

同時に

 

〈自分軸〉の何がそんなにいいのか

〈他人軸〉の何がそんなにだめなのか

 

と思います。

 

 

占星術を勉強したときに

出生時のホロスコープ(ネイタルチャート)をみると

 

そもそも

〈他人軸〉傾向の人と

〈自分軸〉傾向の人がいたりします。

 

もちろん、どちらでもない人もいます。

 

私には〈自分軸〉と〈他人軸〉の

どちらがいいとも判断できません。

 

どっちもどっちですから。

 

だから本当は

軸がどうとかじゃなくて

 

【自分がどう在るか】

 

ということなんじゃないかと思います。

 

仮に〈自分軸〉が手に入ったとして

その人の困りごとが解決するようには感じませんし。

 

 

 

ちなみに

 

ネイタルチャート上

強い〈自分軸〉の性質をもった私は

「合わせてあげてもいい」という

自分の意思に基づくときだけ

〈他人軸〉のように振る舞うことができます。

 

逆に夫さんはナチュラルボーンな

〈他人軸〉の人で

うらやましくもありますが

振り回されているときは辛そうです。

 

 

自分のこころを快適な状態に保つためには

 

ないものねだりにならぬよう

注意深く確認しながら

〈自分軸〉〈他人軸〉の要素を

少しずつ取り入れていくのがよいのかな、と

経験則的に感じます。

 

 

 

 

どうやったら結婚できるか

今回はヘテロセクシャル異性愛者)の人に限定した話です。

 

よく訊かれる質問に

「どうやったら結婚できますか?」

というものがあります。

 

日本の戸籍法上の結婚(婚姻)

つまり法律婚

ということに絞って言えば

 

書類を出せばできます。

 

 

女性であれば

その辺を歩いている男性を捕まえて

必要書類を用意し

はんこを持っているその辺の人に証人をお願いし

お住まいの役所へ婚姻届と必要書類を提出し

受理されればOK。

 

たったこれだけです。

難しくはありません。

 

 

しかし、毎回

「いや……そうじゃなくて……」

といわれます。

 

 

その理由もなんとなくわかってはいますが

あえて、上記のようにお答えしてます。

 

だって

そのくらい、法律婚ってカンタンだからです。

 

 

それを頭ではわかっていて

なお

「どうやったら」

って頭を悩ませている方。

 

 

そもそも

なんのために結婚するのかって考えてますか?

 

 

ちなみに私は

「家賃が安くなるから」

「手術などの重要な判断の際に対応できないから」

という

ふたつの理由で入籍することにしました。

 

現在の夫と付き合うことになったものの

当初、入籍をする気はまったくありませんでした。

 

しかし、法律婚をしているか否かで

家賃補助の額が変わったり

パートナーの重要な局面に関われないという

メリットと大きなデメリットを考慮し

夫とも話し合って決めました。

 

合理主義なので、結婚もこんな感じでした。

 

 

〈好きだから結婚する〉がダメなわけじゃないですが

それだけだと、長く持っても3年くらいです。

 

 

結婚は生活ですから

どんなに不快な相手だろうが

うっとりするような相手だろうが

連綿と続く日常の要素として

結婚があるにすぎません。

 

別に結婚していなくても

誰かと一緒に住んでいいですし

人生の一定期間を共にするのでもいいわけで。

 

 

つまり、結婚ってそんなにたいそうなものじゃなくて

単なる状態にすぎませんってことです。

 

そこに意味を感じるのは

結婚したあとからでも遅くないかもしれません。

 

始めから結婚相手を探すと

ハードルが上がっちゃう、という方は

「この人とずっと一緒に生活していけるか」

という視点で見てみると

ちょっと気楽になるかもしれません。

愛するってどんなこと

よく《自分を愛しましょう》ということばを聞きますけど

〈愛する〉ってどんなことだと思いますか。

 

 

以前、ある方から

「すべての人を愛する」という

ミッションを頂いたことがありまして

 

性格上

とりあえず行動だ!

って思いついて始めたものの

 

ちょっと待て

どうしたら〈愛する〉ことになるんだ?

 

ってなったんですよね。

 

人によって答えは違うと思います。

うちの両親でもそれぞれ違います。

 

私はというと

 

存在そのものにOKを出して

相手を尊重すること

 

だと思います。

 

どんな選択をしても

どんなことを言っていても

どんなことをしていても

 

それがその人にとっての

そのタイミングのベストだと一旦受け止める。

 

こういう行動が〈愛する〉だと考えています。

 

もちろん、受け止めるだけなので

それを「是」とするまではしなくてOKです。

 

でも

自分の価値観に合わないからと

頭から否定するのとも違います。

 

あなたはそうなんだね

というだけ。

 

 

誰かを〈愛する〉ためには

自分を〈愛する〉ことができたら

相手にも同じようにすることができます。

 

もし今

あなたが誰かを愛したいと思うなら

まずは自分にとっての〈愛する〉を

知ることから初めてみてはどうでしょうか。

常識的な人間という妄想

自分の常識は他人の非常識

 

この意識って必要なことが多いんですが

すぐ薄れますよね。

 

私もしょっちゅう忘れてしまい

周囲が「???」となっているのを見て

ハッとします。

 

自分でもなんとなく

よくいる(typical)という意味での

普通ではない、と自覚しているので

できる限り

「普通、○○だよね」

といった表現は避けています。

 

特に観念的な要素が多く含まれたり

ムラ社会的な要素が含まれる内容において

 

人と人との結びつきを高めるような意味合いで

よくそういった会話が展開されるようですが

傍から見ていて、気持ちのいいものではありません。

 

聞き流したり

適当に相づちをうてばいいのでしょうが

あいにく

そういうハイスキルを持ち合わせていないので

最初から無視をするか、返事をしないようにしています。

 

どうしてものときは

「そうなんだね」

と返事するくらい。

 

 

この場合の

普通、○○だよね

ということばの裏には

 

・私は常識をわきまえている

・私の意見は誰もが持つものと同じはず

・私は常識人だ

・誰だって同じ経験をしているはず

・私はジャッジする側だ

 

といった意味合いが含まれています。

 

つまり

自分の感覚が普遍的であるという

根拠のない自信をお互いに確認しあって

安心するためだけの儀式です。

 

おそらく、本人どうしは

そういった意味を含んだつもりはさらさらないでしょう。 

 

 

もちろん

生理的なことのようにその前提がないと

話が進まないようなこともありますので

この限りではありませんが。

(働いたら相応の対価が生まれるとか

 生きていたらお腹が空くとか)

 

 

よく「あなた、変だよ。おかしい。」と言われた側からすると

〈自分はマジョリティ中のマジョリティ〉感

みたいなものを感じてしまい

なんともいえない居心地の悪さを覚えます。

 

 

ある程度の年齢になって

仲間を得られた身としては

 

こういうやり方でなくても、仲間はできるし

別のやり方で得た仲間の方が

いちいち結束を確認しなくても

つながりを感じられるんだけどなって思います。

 

ま、やり方もつながり方も

人それぞれ、好みいろいろですしね。

場所とか空間みたいな人

今回は、【こんな人いる】ネタ。

 

いろいろなところに行き

接客業を20年ほどやって

いろいろな人に会うんですが

 

まれに見かける

 

場所とか空間みたいな人。

 

40年弱の人生で2人ほど会ったことがあります。

 

 

どんな人って訊かれるんですけど

答えるのが難しいですね。

 

人であって人ならざるような、というか。

その場の空気を作る人、というのとは異なります。

 

存在そのものが世界観、みたいな人なので

どんな〈人〉っていう区切られ方をすると

非常に答えにくいんですよね……。

 

 

イメージとしては、保育園の園長先生が近いでしょうか。

 

その人のいるところで

なんだかみんな、好き勝手にできるという感じです。

 

本当にまれにしかいないのですが

会ってみると面白いです。

 

何を話しても吸収されていくような

不思議な感覚があります。

 

 

いいことってなんだ、って話。

占いの勉強を数年やってたので

たまにその手の話をすると

 

「今年〈いいこと〉ありますか?」

 

って訊かれることがあります。

 

 

あなたの〈いいこと〉ってなんやねん——

 

 

というわけで

訊いてきた人に訊き返してみました。

 

ステキな恋人ができること?

突然大金が手に入ること?

誰かが、おいしいものとか高級な食事をおごってくれること?

 

どれも返事は「NO」でした。

 

じゃあ、なんですかって訊いたら

うんうん、うなってました。

 

 

〈いいこと〉っていうのが漠然としすぎてて

もし起きてたとしても

こんな感じだと

気づかないで終わっちゃうんじゃないかって思いますね。

  

 

ごく個人的な仮説ですが

この〈いいこと〉とは

 

自分にとって都合の〈いいこと〉

 

かと思われます。

 

 

【ちょっとした幸せ】という意見もあるでしょうが

 

それって

すでに日々起きてません?

 

なのに、〈いいこと〉ないかなーと口にする人は

その【ちょっとした幸せ】を感じるアンテナが鈍ってるんだと思います。

 

アンテナ、磨きましょ?

って話です。

 

 

参考までにと思って

「いいことって、自分にとって都合のいいことですか」

と訊いてみたところ

 

「そんなんじゃないです」

っていってました。

 

もっと、自分にとってのいいことって何かって

よく考えた方がいいっすよ。