わたしと他人しかいない世界に生きてます

自分という存在を変態的に観察しまくる人のアタマの中。不定期。

どうやったら結婚できるか

今回はヘテロセクシャル異性愛者)の人に限定した話です。

 

よく訊かれる質問に

「どうやったら結婚できますか?」

というものがあります。

 

日本の戸籍法上の結婚(婚姻)

つまり法律婚

ということに絞って言えば

 

書類を出せばできます。

 

 

女性であれば

その辺を歩いている男性を捕まえて

必要書類を用意し

はんこを持っているその辺の人に証人をお願いし

お住まいの役所へ婚姻届と必要書類を提出し

受理されればOK。

 

たったこれだけです。

難しくはありません。

 

 

しかし、毎回

「いや……そうじゃなくて……」

といわれます。

 

 

その理由もなんとなくわかってはいますが

あえて、上記のようにお答えしてます。

 

だって

そのくらい、法律婚ってカンタンだからです。

 

 

それを頭ではわかっていて

なお

「どうやったら」

って頭を悩ませている方。

 

 

そもそも

なんのために結婚するのかって考えてますか?

 

 

ちなみに私は

「家賃が安くなるから」

「手術などの重要な判断の際に対応できないから」

という

ふたつの理由で入籍することにしました。

 

現在の夫と付き合うことになったものの

当初、入籍をする気はまったくありませんでした。

 

しかし、法律婚をしているか否かで

家賃補助の額が変わったり

パートナーの重要な局面に関われないという

メリットと大きなデメリットを考慮し

夫とも話し合って決めました。

 

合理主義なので、結婚もこんな感じでした。

 

 

〈好きだから結婚する〉がダメなわけじゃないですが

それだけだと、長く持っても3年くらいです。

 

 

結婚は生活ですから

どんなに不快な相手だろうが

うっとりするような相手だろうが

連綿と続く日常の要素として

結婚があるにすぎません。

 

別に結婚していなくても

誰かと一緒に住んでいいですし

人生の一定期間を共にするのでもいいわけで。

 

 

つまり、結婚ってそんなにたいそうなものじゃなくて

単なる状態にすぎませんよってことです。

 

そこに意味を感じるのは

結婚したあとからでも遅くないかもしれません。

 

始めから結婚相手を探すと

ハードルが上がっちゃう、という方は

「この人とずっと一緒に生活していけるか」

という視点で見てみると

ちょっと気楽になるかもしれません。

愛するってどんなこと

よく《自分を愛しましょう》ということばを聞きますけど

〈愛する〉ってどんなことだと思いますか。

 

 

以前、ある方から

「すべての人を愛する」という

ミッションを頂いたことがありまして

 

性格上

とりあえず行動だ!

って思いついて始めたものの

 

ちょっと待て

どうしたら〈愛する〉ことになるんだ?

 

ってなったんですよね。

 

人によって答えは違うと思います。

うちの両親でもそれぞれ違います。

 

私はというと

 

存在そのものにOKを出して

相手を尊重すること

 

だと思います。

 

どんな選択をしても

どんなことを言っていても

どんなことをしていても

 

それがその人にとっての

そのタイミングのベストだと一旦受け止める。

 

こういう行動が〈愛する〉だと考えています。

 

もちろん、受け止めるだけなので

それを「是」とするまではしなくてOKです。

 

でも

自分の価値観に合わないからと

頭から否定するのとも違います。

 

あなたはそうなんだね

というだけ。

 

 

誰かを〈愛する〉ためには

自分を〈愛する〉ことができたら

相手にも同じようにすることができます。

 

もし今

あなたが誰かを愛したいと思うなら

まずは自分にとっての〈愛する〉を

知ることから初めてみてはどうでしょうか。

常識的な人間という妄想

自分の常識は他人の非常識

 

この意識って必要なことが多いんですが

すぐ薄れますよね。

 

私もしょっちゅう忘れてしまい

周囲が「???」となっているのを見て

ハッとします。

 

自分でもなんとなく

よくいる(typical)という意味での

普通ではない、と自覚しているので

できる限り

「普通、○○だよね」

といった表現は避けています。

 

特に観念的な要素が多く含まれたり

ムラ社会的な要素が含まれる内容において

 

人と人との結びつきを高めるような意味合いで

よくそういった会話が展開されるようですが

傍から見ていて、気持ちのいいものではありません。

 

聞き流したり

適当に相づちをうてばいいのでしょうが

あいにく

そういうハイスキルを持ち合わせていないので

最初から無視をするか、返事をしないようにしています。

 

どうしてものときは

「そうなんだね」

と返事するくらい。

 

 

この場合の

普通、○○だよね

ということばの裏には

 

・私は常識をわきまえている

・私の意見は誰もが持つものと同じはず

・私は常識人だ

・誰だって同じ経験をしているはず

・私はジャッジする側だ

 

といった意味合いが含まれています。

 

つまり

自分の感覚が普遍的であるという

根拠のない自信をお互いに確認しあって

安心するためだけの儀式です。

 

おそらく、本人どうしは

そういった意味を含んだつもりはさらさらないでしょう。 

 

 

もちろん

生理的なことのようにその前提がないと

話が進まないようなこともありますので

この限りではありませんが。

(働いたら相応の対価が生まれるとか

 生きていたらお腹が空くとか)

 

 

よく「あなた、変だよ。おかしい。」と言われた側からすると

〈自分はマジョリティ中のマジョリティ〉感

みたいなものを感じてしまい

なんともいえない居心地の悪さを覚えます。

 

 

ある程度の年齢になって

仲間を得られた身としては

 

こういうやり方でなくても、仲間はできるし

別のやり方で得た仲間の方が

いちいち結束を確認しなくても

つながりを感じられるんだけどなって思います。

 

ま、やり方もつながり方も

人それぞれ、好みいろいろですしね。

場所とか空間みたいな人

今回は、【こんな人いる】ネタ。

 

いろいろなところに行き

接客業を20年ほどやって

いろいろな人に会うんですが

 

まれに見かける

 

場所とか空間みたいな人。

 

40年弱の人生で2人ほど会ったことがあります。

 

 

どんな人って訊かれるんですけど

答えるのが難しいですね。

 

人であって人ならざるような、というか。

その場の空気を作る人、というのとは異なります。

 

存在そのものが世界観、みたいな人なので

どんな〈人〉っていう区切られ方をすると

非常に答えにくいんですよね……。

 

 

イメージとしては、保育園の園長先生が近いでしょうか。

 

その人のいるところで

なんだかみんな、好き勝手にできるという感じです。

 

本当にまれにしかいないのですが

会ってみると面白いです。

 

何を話しても吸収されていくような

不思議な感覚があります。

 

 

いいことってなんだ、って話。

占いの勉強を数年やってたので

たまにその手の話をすると

 

「今年〈いいこと〉ありますか?」

 

って訊かれることがあります。

 

 

あなたの〈いいこと〉ってなんやねん——

 

 

というわけで

訊いてきた人に訊き返してみました。

 

ステキな恋人ができること?

突然大金が手に入ること?

誰かが、おいしいものとか高級な食事をおごってくれること?

 

どれも返事は「NO」でした。

 

じゃあ、なんですかって訊いたら

うんうん、うなってました。

 

 

〈いいこと〉っていうのが漠然としすぎてて

もし起きてたとしても

こんな感じだと

気づかないで終わっちゃうんじゃないかって思いますね。

  

 

ごく個人的な仮説ですが

この〈いいこと〉とは

 

自分にとって都合の〈いいこと〉

 

かと思われます。

 

 

【ちょっとした幸せ】という意見もあるでしょうが

 

それって

すでに日々起きてません?

 

なのに、〈いいこと〉ないかなーと口にする人は

その【ちょっとした幸せ】を感じるアンテナが鈍ってるんだと思います。

 

アンテナ、磨きましょ?

って話です。

 

 

参考までにと思って

「いいことって、自分にとって都合のいいことですか」

と訊いてみたところ

 

「そんなんじゃないです」

っていってました。

 

もっと、自分にとってのいいことって何かって

よく考えた方がいいっすよ。

 

 

どんな人とパートナーになるか? 他人は鏡 パートナー編

実は、どんな人がパートナーになるかって簡単にわかります。

 

それは

 

そのときの自分と釣り合う人

 

です。

 

 

自分をぞんざいに扱う人には

他者をぞんざいに扱う人が

 

他人を幸せにしようとする人には

その人を幸せにしてくれる人が

 

自分で自分を卑下する人には

卑下してくる人が

 

すーっと近寄ってくるんですよ。

で、くっつく。

 

 

よくスピリチュアルな感じで

「そのときのあなたのレベルに合った人と引き合う」

みたいな話が語られることがあって

 

当時の自分では理解できなかったけど

あとになって、振り返って納得するんですよね。

 

面白いくらい、勝手に縁が切れます。

 

 

個人的に興味があって

某結婚相談所の方のTwitterやブログなんかを読んでますが

つながりのある仲人さんたちも

みなさん口をそろえて言うのが

 

「低いスペックの人からばかり申し込まれて

 至極不快だという人がいるが

 それがあなたの今の価値です」

 

という話。

 

厳しいなあ、と思いましたけど

でも実際そうですよね。

 

人は誰しも

〈自分は特別〉と思いたいもんです。

私もそうです。

 

だけど、実際には特殊なだけで

特別だとは限りません。

 

【特別 ≠ 特殊】です。

 

 

私も過去に、結構辛いことがありましたけど

やっぱりそのときの自分に釣り合ってたと思います。

 

 

今の私の周りはどうかというと

釣り合っているというか

 

こんな人が、私と結婚してくれてるなんて!?

こんな人が、私と仲良くしてくれるなんて?!?!!

 

みたいな人が多いですね。

すごい人多い。

みんな個性が輝きまくっています。

 

自分でもよくわかりませんが

そういう人に囲まれていると楽しいですね。

 

他人に対して、瞬間的な不満はありますが

「これもこの人の長所の裏返しみたいなもんだしな」

と思うと、ほとんどの不満は解消されます。

(あとは理不尽だけが残る)

 

 

というわけで

なんとなく周囲の人に不満を感じている人がいたら

「私、どうなんだろう?」

って振り返るのをオススメします。

 

大体、周りも自分も見えてないですから。

 

自分で自分に向き合うって、そういうことです。

 

 

あ、もちろん

意味のない理不尽に耐える必要はありませんよ。

ただ座ってるだけなのに殴られるとか

それはさすがに付き合わない方がお互いのためです。

 

 

道を踏み外していても

私は団塊Jrの世代なもので

模範的な〈幸福な人生〉って

 

大学卒業して就職して

何年かしたら結婚して

子どもが生まれて

専業主婦になって

一軒家とか建てたりして

 

みたいな感じでしょうか。

 

今のところ、見事にほとんど達成できてません。

 

バツイチだし(再婚したけど)

子どもはいないし

めちゃくちゃ働いてるし(最近ワーカホリックを卒業)

家は持ってないし(なんなら貯金もあまりない 爆)

 

達成できたのは大学を卒業して就職して

1回結婚したことだけでしょうか。

 

それも見事に離婚したけどね!!!

わはは!

 

 

一時期、ここにコンプレックスを感じていたことがありました。

 

離婚とかさ……

人生の落伍者だよね……

 

1/3は離婚するとか言うけど

あとの2/3は継続してるんですよ?

離婚した人の倍でしょ、倍。

 

あと、ワーカホリックとかさ……

転勤までしてさ……

幼なじみと会話がかみ合わなくて

宇宙人扱いだよ……

 

みたいなね。

 

こういう

模範的な人生を選べたはずなのに

選ばずに、こんなところにきちゃって

うわあ、どうしようってなったんです。

 

 

でも、よく考えたら

一回死にかけたけど、私は今日も生きているし

自由に思うままにどこへでも行けるし

したいことは大体できるし

それで十分じゃない?

って思ったんです。

 

それに、こんな自分でも

両親は愛情を持って接してくれてます。

 

さらに言うと

もし自分が親の立場で、今の自分を見たら

 

「いいよ、生きてるだけで十分だよ」

 

って言ってあげると思うんですよね。

 

 

生きてればいろいろありますけど

いろいろあるのは、生きていればこそ。

 

だから、どんな自分でも

愛していいし愛されてもいい。

そもそも、生きていていいんですよね。

 

 

なので

もうそういうところでは

悩まなくなりました。

 

別にいいじゃないですか

今日も生きてるし。

そんで、明日も無事に生きられたら

最高ですよねー。